「畑は売るつもりもないし、値段なんてついていないと思っていました」。お父さまを見送られたご長男から、こんなお話をうかがうことがあります。ところが相続税の計算をしてみると、その畑に数千万円の評価額がつく——名古屋市のように市街地の中に農地が残っている地域では、めずらしいことではありません。
この落差を埋めるために用意されているのが、農地等の相続税の納税猶予です。ただしこれは「税金が消える制度」ではありません。今回は、農地を相続すると何が起きるのか、そして納税猶予を使うかどうかをどう判断すればよいのかを整理します。
農地は「売る気がなくても」高く評価されることがあります
相続税の計算では、農地もその時点の価値で評価します。評価のしかたは農地の所在地によって分かれていて、おおまかには次の2通りです。
- 倍率方式:主に市街化調整区域などにある農地。近隣の農地の価額をもとに、地域ごとに定められた倍率をかけて計算します
- 宅地比準方式:市街化区域内にある農地。その土地が宅地だとした場合の価額から、宅地に造成するための費用を差し引いて計算します
問題になりやすいのは後者です。市街化区域は「おおむね10年以内に市街化を図る区域」ですから、周りは住宅地です。つまり、周りの宅地の値段が上がれば、耕している畑の評価額も一緒に上がります。路線価の考え方については「不動産の相続税評価額はどう決まる?路線価の基本」もあわせてご覧ください。
売る気がなくても評価は下がりません。ここが、農地を持つご家庭の相続でいちばん最初につまずくところです。
納税猶予は「農業を続ける人」のための制度です
国税庁のタックスアンサー No.4147 によると、農業を営んでいた被相続人から一定の相続人が農地等を相続し、その相続人が農業を営む場合には、農地等の価額のうち「農業投資価格」による価額を超える部分に対応する相続税額の納税が猶予されます。
農業投資価格とは、農地を「農地としてしか使えない」と仮定したときの価格で、都道府県ごとに国税庁が定めています。令和8年分の愛知県は、10アール(1,000平方メートル)あたり田が85万円、畑が64万円です。宅地並みに評価された金額とは、文字どおり桁が違います。
3つの要件がそろって、はじめて使えます
- 被相続人の要件:亡くなるまで農業を営んでいた方、農地を生前に一括贈与した方、亡くなるまで特定貸付け等を行っていた方など
- 農業相続人の要件:被相続人の相続人で、相続税の申告期限までに農業経営を開始し、その後も引き続き農業経営を行うと認められる人。農業委員会の証明が必要です
- 農地等の要件:被相続人が農業に使っていた農地等で、相続税の申告期限までに遺産分割が終わっているもの
注意:相続税の申告期限は10か月です。その間に「誰が農業を継ぐか」を決め、遺産分割を終え、農業委員会の証明まで取る必要があります。話し合いが長引くと、それだけで使えなくなる制度です。期限の全体像は「相続手続きの期限は4つ」の回でまとめています。
どのくらい変わるのか——モデルケース
前提を置いて計算してみます。
- 相続人は長男1人。農業を継ぎます
- 財産は、生産緑地に指定されている畑 2,000平方メートル(評価額8,000万円)と、自宅・預貯金 4,000万円
- 畑の農業投資価格は、64万円 × 2 = 128万円
| 納税猶予を使わない | 納税猶予を使う | |
|---|---|---|
| 畑の評価額 | 8,000万円 | 128万円(農業投資価格) |
| 課税価格の合計額 | 1億2,000万円 | 4,128万円 |
| 基礎控除額 | 3,600万円 | 3,600万円 |
| 相続税額 | 1,820万円 | 約53万円 |
差額の約1,767万円が、納税を猶予される金額です。納税資金の心配をせずに畑を残せる、というのがこの制度のねらいです。
ただし、ここからが本題です。
名古屋市の農地は「20年で免除」が使えません
猶予された税額は、次のいずれかにあたったときに免除されます。
- 農業相続人が亡くなったとき
- 農地等の全部を後継者に生前一括贈与したとき
- 平成3年1月1日において三大都市圏の特定市以外の区域にある市街化区域内農地等について、申告期限の翌日から20年間農業を続けたとき
この3番目が、名古屋市では使えません。名古屋市は中部圏開発整備法の都市整備区域に含まれ、ここでいう「三大都市圏の特定市」にあたるためです(国土交通省の政策区域一覧)。
さらに前提として、三大都市圏の特定市の市街化区域内にある農地は「特定市街化区域農地等」として、原則そもそも納税猶予の対象になりません。対象になるのは、生産緑地地区内の農地などに限られます。
生産緑地と特定生産緑地
名古屋市の生産緑地地区は、生産緑地法の500平方メートルという基準を条例で緩和し、300平方メートル以上の良好に耕作されている農地が対象です。指定を受けると固定資産税等と相続税等の優遇を受けられる代わりに、住宅などを建てることは原則としてできません。
気をつけたいのが指定から30年が経ったあとです。名古屋市の説明では、30年の経過前に特定生産緑地に指定しておけば買取り申出ができる時期が10年延び、それまでと同じ優遇が続きます。一方で指定しなかった場合、次の世代は納税猶予を受けられません。
ポイント:名古屋市で農地の納税猶予を使うということは、実質的に「一生涯、農業を続ける」という選択に近くなります。20年で区切りをつける道がないからです。税額の大きさだけで決められる話ではありません。
猶予が打ち切られるのは、どんなときか
猶予はあくまで「待ってもらっている」状態です。次のような場合には、猶予されていた税額を納めることになります。
| 起きたこと | どうなるか |
|---|---|
| 3年目ごとの継続届出書を出さなかった | 猶予が打ち切られ、全額を納付 |
| 農業経営をやめた | 全額を納付 |
| 特例農地等の面積の20%を超えて譲渡・転用・耕作放棄した | 全額を納付 |
| 20%以下の譲渡等をした | その部分に対応する税額を納付 |
納めるのは本税だけではありません。猶予を受けている間は担保の提供が必要で、打ち切られたときには利子税も加わります。猶予されていた期間が長いほど、利子税は積み上がります。
注意:実務でいちばん多いのは「うっかり」です。3年目ごとの継続届出書は、出し忘れただけで猶予が終わります。相続のあと何十年も続く手続きですから、家族の誰かが期日を引き継げるようにしておいてください。
貸しても続けられる道があります
「体がきつくなってきた」「後継者が勤め人で手が回らない」。そうした場合に、すぐ打ち切りと決まるわけではありません。
- 特定貸付け等:農地中間管理事業の推進に関する法律、都市農地の貸借の円滑化に関する法律、特定農地貸付けに関する農地法等の特例に関する法律などによる一定の貸付けであれば、猶予は続きます
- 営農困難時貸付け:病気などで農業を続けることが難しくなったときの貸付けにも、別の取り扱いがあります
いずれも、近所の方に口約束で貸すのとはまったく別の話です。決められた手続きを踏んだ貸付けでなければ、耕作をやめたものとして扱われます。貸すことを考え始めた時点で、先に確認しておくことをおすすめします。
実践のポイント
- その農地が生産緑地かどうかを、まず確かめる:名古屋市の都市計画情報で確認できます。市街化区域内にあって生産緑地でない農地は、そもそも納税猶予の対象になりません
- 特定生産緑地の指定が済んでいるか確認する:30年の期限を過ぎてしまうと、あとから指定することはできません。次の世代が納税猶予を使えなくなります
- 継ぐ人を、相続が起きる前に決めておく:10か月のうちに遺産分割と農業委員会の証明まで終える必要があります。遺言があると動きがまったく変わります(遺言書の種類と書き方)
- 「使わない」場合の納税資金も並べて考える:農地は分けにくく、売るにも時間がかかります。不動産の多いご家庭の分け方と納税資金についてはこちらの回で整理しています。生前のうちにできることは生前の相続対策のページもご覧ください
忘れやすい手続き:相続で農地の権利を取得したときは、遅滞なく、その農地のある市町村の農業委員会に届け出る必要があります(農地法第3条の3)。届出をしなかったり、虚偽の届出をしたりすると10万円以下の過料の対象です(同法第68条)。納税猶予を使うかどうかにかかわらず必要な手続きです。
まとめ
農地等の納税猶予は、税を消してくれる制度ではありません。農業を続けることと引き換えに、納税を待ってもらう制度です。モデルケースでは約1,767万円の納税が猶予されましたが、その裏側には「3年ごとの届出」「20%のライン」「打ち切られたときの利子税」という長い約束があります。
そして名古屋市の農地では、免除にたどりつく道が実質的に「農業相続人が亡くなるまで続ける」か「後継者へ一括で贈与する」かの2つしかありません。使うかどうかは、税額ではなく「その農地をこの先どうしたいか」から決めるほうが、結果的にうまくいきます。
判断の材料になるのは、生産緑地かどうか、特定生産緑地の指定が済んでいるか、継ぐ人がいるか、そして猶予を使わない場合に納税資金をどこから出せるか。この4つです。相続が起きてからの10か月では、どれも確かめきれません。
「うちの畑はどうなるんだろう」という段階のご相談で構いません。農地の評価、納税猶予を使った場合と使わなかった場合の比較、納税資金の見通しまで、順番に整理させていただきます。
初回面談は無料です。南山税理士事務所は名古屋市昭和区、地下鉄鶴舞線・いりなか駅1番出口から徒歩1分。ご相談から申告まで、代表税理士が直接担当いたします。
本コラムは2026年9月時点の法令等にもとづく一般的な情報提供を目的としており、個別の税務相談ではありません。計算例はモデルケースであり、小規模宅地等の特例その他の特例や税額控除は考慮していません。生産緑地の指定状況や農地の所在によって取り扱いは大きく異なりますので、具体的な判断にあたっては税理士等の専門家にご相談ください。
農地は、続ける覚悟と手放す準備の両方を見てから決める土地です。どちらの道も、一緒に描かせてください。

